記憶が定かではない
29日か30日に、妻は一度帰宅した
羽田空港で妻は泣いていた
その後、すぐ逢う事になるとは思っても見なかった
19日の夜、何がしかの件で夫が不満を言った
初めて第4人格が出た
えらい剣幕である。爆発!
いま考えると、喜怒哀楽の「恕」を担っている可愛そうな人格
性別はいまだ持って不明ではあるが、
主人格との連続意識はこの時点では、持っているようである
別途第3人格(ISHか?)と基本人格はバックグラウンドで
第4人格戦っているっぽい
妻は離婚しようと言う
夫、ひたすら謝って寝てもらう
翌日起きたら、妻は基本人格だった
2006年4月18日
午後9時半
台東区役所にて婚姻届提出
夫、両親、苗字同じだが併記(判りますよね)
妻、苗字と両親の苗字がすべて一致せず
かくて、夫婦になりにけり。
タイムマシンがあったら、どう助言しようと考えよう?
今は、そのままでも良いかなと思うほど安定はしている
知人の柴田氏に、夜、婚姻届の証人になっていただく
後日、柴田氏から、子供の件とか知っていれば証人は
慎重に考えたと言われたが
18日日中には、会社の善き相談相手である田村氏に
証人になっていただく
ここまでは、基本人格と主人格のみ出ていた
イースター礼拝に参加した
墨田区の教会である
牧師先生はとても背中でモノを語られる方
破れた靴下を、縫って履かれている方
夫、妻とも泣く
戦後長い歴史を持つのに、
そんなにきらびやかな教会ではない
きっと、恵まれない人たちへの赦しなのかも知れない
妻は、婚約者と言った
その時点で、流れは決まった
そのときは夫婦では無かったけれど、
とても愛し合ったと思う
その当時は、性奔放人格も出ていたため、
(第四人格はしかめっ面だったと思う)
なんの問題も無かった
表出もしなかった
でも、泣いている人格もあったかと思うと、
夫はぞっとする
ドライブに行こうと思った
当初は、横浜中華街に行こうと思った
が、妻がきさらずに行きたいと言い出したので、
アクアラインで行って見た
主人格の行動となった。
実母の自宅をうっすら見ながら、
通った高校、
第一結婚生活、
水商売時代の店、
この時点で、生活暦の説明は受けた
主人格から
(多分、基本人格が主人格にリクエストしたのだと思う)
妻の記録には、
辛いけど、今向かい合いたい記憶で、
少しココロの中が片付いたという記載がある
何がしか、考える事があり、
マリッジリングを注文した
御徒町である
妻、びっくりしたそうだが、自然な感じがしたそうだ
この時期は、基本人格のみ表出している
一部、主人格が現れていたが、
当時は、そんな事つゆしらず、中度うつ、とヘルニアだと思ってた
西洋美術館に行きたいと言った
妻が東京に居たときは、良く見に言ったそうだ
妻、夫ともクリスチャンである
妻の絵の解釈は的確な物があり、夫も驚いた
妻は、しんどいので悪いけど帰りたいと言った
(とっても、ヘルニアの痛みを我慢していたのだと思うが、
表出しなかったところはたいしたものだと思う)
JALの最終便
妻は一便遅れて、特割にも関わらず変更して来た
(千歳で何かあったは知らないが。。。)
何しろ、契約駐車場にとめれず、空港駐車場から突っ走ったら
こけまくったらしい
当初は、まだ夫に自家用車があったので、
それに乗って台東区のその当時の部屋まで行った
その日は何もなく眠った
夫熟睡、妻中途覚醒
4日〜6日までは、夫から妻の携帯電話に電話した
で、どうしても逢いたいという
夫も何だか逢いたくなってきたので7日に
妻が来る事になった
オカンと、病院の外出許可を取って、
歯医者等に行った
戻ってきたら、オカンのベッドの上に
教会のパンフレットの裏に、
「オカン、お世話になりました、退院する事にしました」
と妻からのメモ書きがあった
オカン、泣いていた
「娘が居なくなった。。。」
夫はその時、ああ退院したんだなと思い、
携帯メールにて、お礼を妻にメールした
千歳空港で搭乗待ち(夫は結構時間に余裕を持っていく)
をして居ると、メールの返事が来た
退院して疲れていたので寝ていましたとの事
(実際はロヒ1で寝ていた、ロヒ2で寝ていたら
人生は変わっていた)
お見送りがしたいと言う
面倒でしょ?と言ってみたら、名残惜しいと言う
じゃ、来てください。と返したら、
飛んで行きます。といって、実際すっ飛ばしてきた
時間的に30分、基本人格+ホストフォローで話しっぱなし
だったが、悪くも無いなと思った
問題は、子供の親権を持っている事位かとも
(当時は現在知りえる背景は聞いていなかった)
ANAでボディーチェックするときまで
見えなくなるまで見送ってくれた
オカンがアルコール依存症の断酒治療の為入院した
本来であれば、GWにでも見舞に行くべきだが、
「当初」GWはバンコク・チェンマイ旅行に行こうとしていた
よって、前倒しで有休休暇を月曜日(4月3日)追加して、
苫○牧に帰省した
オカンには、夕方位にと言っておいたが、昼過ぎと勘違いしていて
病棟内では、オカンが心配して大騒ぎしたせいで、
いちいち心配をおかけしました。と挨拶をして回った
(以前のブログ読者の方は、閉鎖病棟と開放病棟の間にその1
に重複します)
オカンは喫煙者なので、喫煙コーナー(精神科なので喫煙は自由)
に付き合った
そのむかいがわに、チョコンと座っていたのが
「妻」だった
その時、何かの恋愛感情が沸いたわけでもなく、
入院病棟独特の雰囲気の中で、なぜこんなに健常者風の人が
居るのだろう?という疑問の方が先行した
仕事は休職しているらしく、夫が名刺を出すと、
もそもそ、メモ帳に住所等一生懸命書いている
で、くれた
(これは今も、夫の財布の中にしまってある)
その日はそれだけで、なにも起こらない
オカンは、鶏肉が嫌いで、硬いものが入れ歯なので
食べられないといい、夫に食わせる
たまに病院食もいいものだ
この街は、夫の記憶が定かなときから、
変化に変化を重ねた
室蘭よりも良かったはずだが、不景気風が吹きまくる
その中で、変わって居ない風景
苫○牧駅から見える、王子製紙工場と煙突とその煙